新竹商店は創業が明治28年
三重に残りし昔ながらの頑固な駅弁屋です。

ここでは、弊社の歴史につながる宝ものを
少しずつご紹介してゆきたいと思います〜♪




興味のない方にはがらくたかもしれません((笑)^^;;;;
古びた、手垢だらけの品々の中にこそに
真実があるようにも思います。
明治、大正、昭和・・・・
鉄道の歴史とともに
生業に励む時代を生きた先達の
息使い、汗、笑い声などを感じていただければ幸いです。


勤続営業100年表彰の盾


100年間、松阪駅で
構内営業を続けた功労により
日本鉄道構内営業中央会から平成6年にいただきました。
駅弁屋は何があっても休めません。
身内の葬儀であれ、婚礼であれ
必ず店を開けております。
鉄道の安全運行と共に
たゆまぬ努力の100年を表彰いただけたことは
本当にありがたいことと存じております。


昭和34年、松阪駅前で大きな火事があり
そのもらい火であら竹の旧店舗は全焼してしまいました。
そんなことで、弊社には
古い写真・資料がたいへん少なく
これは非常に残念なことと思っております。


古い駅弁掛け紙は
駅弁愛好家のU様のご厚意で
ご自分の収集品を複製コピー、または画像で
弊社に寄贈してくださったものです。
U様のご親切に心より御礼を申し上げます


↓ 大正後期 販売価格20銭
松阪らしく、郷土の偉人本居宣長が愛した
鈴と桜が図案になってます。
↓ 昭和初期 販売価格30銭
「上等御弁当」と書かれてます。
↓ 昭和初期 販売価格30銭
鈴の図案の上に「上等御弁当」と書かれてます。
↓ 昭和32年 販売価格100円
「御弁当」


あら竹では、こういう掛け紙を「レッテル」と呼び
経木の弁当箱の上に同じく薄い経木のふたをし
レッテルをかけから
全体を紙ヒモでしばってました。
調整印は丸型のスタンプで
子供の頃のぴーゃんは、これを一枚ずつ
パコパコって打つのが
「お手伝い」の仕事ひとつでした。
忙しい時は、弁当の包装もしまました。
ですので、今でも、「ヒモ掛け」はとっても上手よ〜♪


さらにこれは松阪の歴史的お宝です。
平成19年にぴーちゃんが入手いたしました
「大正9年10月 松阪市市街界図」



目を凝らしてよ〜〜く読むと
「国勢調査記念」 とか
「商工業 及 名家案内」とあります。

松阪駅のまん前の大きな通り
松阪駅を背にして地図を上に上ると
左並び3店舗めに 「あら竹」とありますねぇ~~;;;
(地図をクリックすると拡大版がございます)





昭和34年7月
紀勢本線の全線開通を記念して
日本初の牛肉弁当が
新発売されました。


「元祖特撰牛肉弁当」の栄冠


昭和38年に駅弁品評会で1席
これをきっかけに全国の有名駅弁の仲間入り



その頃の「「元祖特撰牛肉弁当」


その頃の車内販売の売り子


この制服は、当時、2代目社長・亮太郎が
名古屋まで出向き服地を買い込み
地元松阪の仕立て屋さんに頼んで作らせた
オーダーメイドだったそうです~~;;;;
今思えば、先進的ですねぇ〜♪


昭和40年代終わり〜50年初頭ころ
「牛肉弁当」掛け紙
昭和40年代終わり〜50年初頭ころ
「牛肉しぐれ弁当」掛け紙



さてさて、ここからは本当のお宝ですわよ。
じゃ〜、今までのはなんだったの???~~;;;猛爆

蒸気機関車C11312のナンバープレート
(レプリカ)



蒸気機関車C11312は、
以前に弊社が国鉄から譲り受け
旧・ドライブインあら竹で静態保存しておりましたもので
昭和63年7月、現役復帰を果たし
大井川鉄道で活躍
(その後、平成19年に現役引退いたしました。





昭和62年には観光への長年の功績により
故・二代目亮太郎に
松阪市より 「松阪市名誉市民  の称号が
授けられました。




平成20年4月
食品衛生優良施設表彰を頂戴しました。




他にもいくつかお宝がありますので
時間を見て随時公開してまいりたいと思っております。

↓の各コンテンツもご高覧いただけましたら
心からうれしいです。



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〈 読 み も の 〉
おじいちゃんの
機関車


牛肉弁当誕生秘話
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〈 ヒ ス ト リ ー 〉
駅弁のあら竹
物語

ここまで、いくつかの品をご覧いただきましたが
弊社の本当の宝ものは
これまでにお客様から頂戴いたました
ご贔屓とご信用でございます。
これを守り続けることが
跡を継ぐ私どもの使命と思い
日々精進してまいりますれば
変わらぬご支援のほどよろしくお願いいたします。


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